「しむらのいろ――日出ずる国の色の源泉を探る」
志村ふくみさん、洋子さん親子がベルリンに。
「なんと緑の多い街」
「街の樹木を切るのは禁止だそうですね」
「では私どもはすぐに捕まってしまいます(笑)」
◯
植物を敬うこと。
色は生きている。こちらに訴えかけてくる、その気持ちを受け止めて自然界にお返しする。
色は匂い立つ。花前の三月と花後の九月。同じ色のようでも生命力の違い。季節の色の物語がある。
場所の色を尊重する。葉の色、根の色、幹の色。決して混ぜない。
藍の神様。藍さんと呼ぶ。藍さんには人格がある。いつが一番喜んで染まってくれる?満月の晩、藍甕と月光の相思相愛を見た。ハッとして翌朝染めてみた。空が落ちてきた色。それからは新月に仕込んで満月に染めている。
◯
植物から緑は染まらない。なぜ?緑とはなにか?
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ゲーテの色彩論。緑は「第三の色」「闇と光が結合して第三の緑が出る」!
(闇に近い藍に光に近い黄の染料をあわせて緑を出す)染色の世界を完全に表現している。
「色は光の受苦である」 ゲーテとシュタイナーから学び続けている。
◯
やまとごころ。色に文学のように名前をつける。
源氏物語は、色の文学。全てが色で構成されている。光源氏の光に照らし出される女人たち。後半、光の強い時には見えなかった、鼠や白に近い茶。宇治十帖は悲劇でない、色なき色の美しさ。
江戸時代「四十八茶百鼠」ハレとケ。光と闇。日本人の、闇を見分ける力。
すべての植物はグレーと薄茶を持っている。楠の鼠、柳の鼠、樫の鼠・・
◯
タテとヨコ。グレゴリウス典礼衣の十字架。日本の十字絣。聖なる存在の世界共通のシンボル。
イスファハン イマームのモスク。イスラムの抽象化する力。彼らも花を奉るしお星様を拝む。
◯
講演はドイツ語への同時通訳で行われた。志村さんのお話しのそばからドイツ語に逐一訳されていく、その自然さにビックリ。英語と違って、一文を待たなくてよいのだ。ドイツ語と日本語の語順の相似。二つの言語が同じタイミングで笑えた。それでも「ハレとケ」「灰汁」などの表現を使おうとする度、通訳さんを気遣って躊躇されるふくみさんのお人柄。その都度洋子さんが「あなたが心配しなくて大丈夫だから」とツッコミ。温かかった。